
この記事では私が双極性障害と診断されたときのことを書きます。
正直なところ、今でもこの病気にかかったことを恥ずかしいと思うことがあります。
しかし、恥ずかしがったところで状況は良くなるわけではないし、むしろ公開することでひとりでも誰かのためにでもなればいいなと思ってます!

しかし休職→転職した結果、前職より100万以上年収が下がってしまいました…。
かつかつですが生活はできる状態。
そんな私が患った双極性障害は

私もおそらく完治ではなく、症状がおさまっているだけだと思います。
いつ何をきっかけに再び顔を出すかわかりませんが、寛解している私だからこそ
- 辛かった経験
- 辛い思いをさせた経験
- 今気をつけていること
それらのことをお伝えできると思います。

私自身診断された後、自分で色々調べてたことによって不安が増したので、双極性障害の詳細(原因、症状、治療法等)についての一般論はここでは書きません!
では家族との関係や私の感じたことを書いていきます。
双極性障害(躁うつ)と診断された原因と状況
退職できず働く日々の中で自分の異変を感じる
以前数年勤めていた会社で下のような状態が続きました。
- 言い表しようのない不安や無気力が常に隣にいる。
- 四六時中いかにして死ぬかを考えていた。
しかし、時期によっては一変し、
- すごくやる気が満ちていて、残業もいくらでもできるしアイディアを数多く生み出し、実行。
- イラつきやすくなっており、本当にささいなことで自分を抑えられない。

記憶が保てず、不安に駆られ心療内科を受診
そして、ある日職場で自分が直前までしていたことが一切思い出せなくなりました。

自分が根本的になんかおかしい。
一度そう思い始めると不安が抑えきれなくなりました。
すぐに家内に連絡し、メンタルクリニックの予約を入れてもらいました。
その時はうっすら「うつ病なのか?」程度には思っていました。
当時の診察内容
医者の診察では以下のことを聞かれました
- 現在の症状(気分)
- 最近の症状(気分)
- 学生時代のエピソード
小学生~大学生まで通して
上の診察内容に関しては、私と家内の記憶をすり合わせて書き出しました。

その結果
「双極性障害」
そう診断され、今すぐに休養(休職)するよう断言されました。
診断書の記載
「3ヶ月の休養を要する」
自分でも落ち込む以外にも「なんかおかしいぞ」という自覚はあったので、会社にそれを伝え休むことに。
双極性障害(躁うつ)を発症するきっかけ
双極性障害(躁うつ)の種は学生時代
先程学生時代の話をしたと書きましたが、医者の話によると双極性障害のきっかけ自体はだいぶ昔のようです。
学生時代に最初の発症をしていたのではないかとのことでした。
学生時代のエピソード
中学
- 部活を辞めたいと顧問にいったら、「お前は辞めさせない。お前が辞めたい理由の原因は誰だ?そいつを辞めさせてやるよ!」
- 辞めたがっているのに部長にさせられ更に辞められなくされる
高校
- 部活は創設したてで、他の部員をひいきする指導者による疎外。
- 疎外にたいしての憤りからボイコットした結果、顧問・同級生からあることないことを言われる。
- 最終的には学校行事での怪我をきっかけに追い出される。
- 更には怪我が予想以上にひどく、どんどん孤立する。
大学
- 上記怪我をしてからの経験であまり生きる気力がわかず、ぼんやりと日々の生活を行っていた。
- 時折異常なほどやる気がみちて、活動を意欲的に行うときがあった。
すでに高校生のときには発症していた可能性があるそうです。
そして気がつかないまま大学、社会人と進んでいたらしい。
症状が悪化する原因となった職場と家族に支えてもらうという関係性

その経験は読んでもあまり気持ちのいいものではないと思うので、別の記事にしてみました。
もしどうしても気になるのなら、読んでみてください。
読まれた方には、

情けない!
と思われる方もいるかもしれませんが、限界でした。
- 数分前の記憶が思い出せない。
- 生きていることに絶望しか感じられない。
- 生きていることが人の迷惑にしか感じられない。
- 何をしていても落ち着かず、寝られず、深夜に10km近く徘徊する日々
私自身は上に書いたような状況にある自分のことで手一杯になっていましたが、家内はそんなわけにはいきません。
家のことをこなしながら、目を離せば糸の切れた風船のようにどこかに行ってしまう私を見ていなければならない。

正直、家内がいなければ今生きていることはないと思っています。
私という人間に出会ったばかりに家内には本当につらい思いをさせました。
家族にかけた苦労と世間からの認識
心の支えは家族。でも家族も疲れる
家での療養中もしばしば落ち込んだり、いらいらしたりする私に家内は献身的に付き添ってくれました。

ずっと付きっ切りでいるわけにもいかず、かといって目を離すことも恐ろしい。
少しでも冷たく当たろうものなら、すぐに死ぬことを選択しようとする旦那。
今の回復した状態で考えると家内は本当にものすごく大変だったと思います。
診断されてしばらくたったころには、苦労を掛けすぎたせいか、
家内も疲れから軽度のうつ状態になっていました。
しかし、そんな私たちに世間は優しくありません。
職場に関しては少し前まで私が超意欲的(躁状態)に働いていたのを見ているので、


などと面と向かって言われました。
それを言われた際は落ち込んでいるときだったので、なお堪えた覚えがあります…
そんなことを言われ、さらに落ち込む私を支えなければならない家内の苦労、想像してみてください。

我が家の場合は、私の両親が家内と連絡を頻繁にとっており、家内が徐々に暗くなっていることを感じ取り、数百キロ離れた我が家に来てくれました。
そこで私の惨状と、家内の状況を知り、職場から物理的にも離れたほうが絶対に良いと実家に連れ帰ってくれたのは、本当に感謝しています。
治療時の心境と家族の助け
死にたい、生きるのが辛いと思うことがまず異常
それを自覚するのに長く時間を要しました。
家内や両親の負担となっていて、自分の存在がこの世界にとって迷惑でしかない。
その考えがずっと頭にあり、とにかく早く消えなければとずっと思っていました。
家内のことは好きですし、もちろん大事だと思っています。

奥さんもたぶん義務だけでなく、私のことを思ってずっと一緒にいてくれたのだと思います。
お互いを思うからこそ、辛いというのもあるのかもしれません。
だからこそ、ある程度迷惑をかけるのにも許容できる、「両親」という存在は大きいとも感じました。
「迷惑をかけている」
双極性障害、うつの人間は人一倍それを感じているようにも思います。
だからこそ、夫婦だけだと煮詰まっていくのを軽減していくといいのかもしれません。
そんな経験をした私ですが、家族の支えと良いお医者さんにめぐり合えたおかげで、今は子どもにも恵まれ生活できています。
相性もあるのでしょうが、出会えたお医者さんのおかげで心がすこし軽くなりました。
- 最初の診断でちゃんと私の過去まで聞いて診察し、「うつ」ではなく「双極性障害」と診断してくれた。
- 周りの人間から言われたことにたいして私を励ましてくれたこと。
- 「生きていたくない、生きるのが辛いと思うことがまず異常なのだから、治療は絶対必要。」
- 「無責任にひどい言葉を投げつける周りの環境を改善しなければ良くならないかもしれない。」
そういってくれる人と出会えたこと、ちゃんと理解をして支えてくれる人に出会えたことで、私の今があります。
おそらく私は恵まれている方で、良い先生に巡り合えていない方もいるでしょう。
だからこそ私が言われたことを書くことで、誰か一人でも、少しだけでも救われるといいなと思います。
完治しないといわれる病気なので、これからもひょっこり顔を出すかもしれませんが、周りに恵まれている私はきっと大丈夫だと思うので。
今気をつけていること
嫌なことからは逃げる、遠ざかる
発症する正確な原因はまだ解明されていない「双極性障害」ですが、私の場合は環境が原因のひとつの様なので、
- 嫌な事、嫌な奴からは逃げる
- 嫌なことは極力やらない
- 頑張り過ぎない
- 家族のためにはなにより生きてることが大事
ということを大事に今生活しています!
今では、

最近だとそう考えるようになりました。
転職できるか、収入が厳しくなっても生きていけるか、新しい人間関係を構築できるか。
そんな不安はいつだってあなたのことを苛むと思います。
でも何とか踏ん張って、耐えて、今を維持しようと頑張ったところで、あなたが壊れてしまったら何の意味もありません。

少し前のドラマでありましたが、「逃げるは恥だが役に立つ」ってやつだと思います。
自分と家族をを最優先で生きていもいいと思います。
今現在の私は、仕事も生きていくための作業と考え量は適度にし、給与が足らない故の残業も適当に。
まずは家族との生活を今後も長く続けていくことが第一です。。

私がなんとかなったのだから、あなただってなんとかなります!
今すぐにポジティブになれ!とかそんな無理なことは言いません。
辛いのも、少なくとも他の人よりはわかります。
心が少しでも前を向けるように、今は人に迷惑をかけてもゆっくり休みましょう。

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